アメリカ最古のステーキハウスの一軒
1887年にブルックリンで創業した「ピーター・ルーガー・ステーキハウス(以下、ピーター・ルーガー)」は、アメリカで最も歴史の長いステーキハウスの一軒です。当時の店名は「カール・ルーガーズカフェ ビリアーズ&ボウリングアレイ」。ドイツ系移民であるピーター・ルーガーがオーナーで、甥のカールがキッチンを担当していました。
開業当初、ピーター・ルーガーは近隣住民から愛されるローカルなレストランでした。しかし、1903年にウイリアムスバーグブリッジが開通すると、ブルックリンはマンハッタンからのアクセスが良い場所になります。すると、店の評判を聞きつけたビジネスマンたちがウォール街などから来る様になり、店は大繁盛となりました。1920年、現在のオーナーファミリーのソル・フォーマンが、カール・ルーガーズカフェの向かいに金属加工会社を設立します。彼にとってカール・ルーガーズカフェは顧客をもてなすのに最高の店だったので、ほぼ毎日、ときには1日に2~3回も食べに行っていたそうです。
1941年、創業者であるピーターが死去。店は息子のフレドリックに引き継がれ、店名は現在の「ピーター・ルーガー・ステーキハウス」に変更されます。そして、1940年代の終わり頃、アメリカが深刻な不景気に見舞われると、ピーター・ルーガーも経営不振に陥り、ついには競売にかけられることになってしまいます。ソルは顧客をもてなす店がなくなってしまっては困るとの思いで競売に参加し、店のオーナーとなりました。
牛肉選びの「7つの基準」
ソルは、工場経営においては優秀でしたが、レストラン経営に関しては素人でした。そこで彼は、米国農務省(USDA)を引退した牛肉のプロを雇い、妻のマーシャに最高の牛肉の見極め方を教えるよう依頼します。最高のステーキを提供するためには、最高の素材を用意することが最も近道であると考えたからです。
その後、マーシャは様々なパッカーを訪れて、真剣に牛肉の目利きを学びました。当時のニューヨークの食肉加工業界において、ファーのコートを身にまとった高身長のロシア系女性は彼女だけでしたが、彼女は誰よりも熱い情熱を持って仕事に取り組んでいました。マーシャは、店で使う最高の牛肉を選ぶため、厳格な「7つの基準」を決めます。彼女の基準を満たして納品された牛肉は、全体の20%程度だったそうです。そのこだわりおかげで、店はかつての栄光を取り戻し、再び大繁盛店となりました。
牛肉選びのこだわりは、ソルとマーシャの娘姉妹のマリリン・スピエラ(前社長)とエイミー・ルーベンスタイン(現社長)へと引き継がれました。そして現在では、エイミーに加え、マリリンの娘のであるジョディー、ジョディーの甥であるダニエルとデビットも経営に参加し、4人のオーナーファミリーが牛肉を選んでいます。彼らは、毎週、複数の牛肉卸業者に足を運び、「7つの基準」で選んだ牛肉に自分のスタンプを押します。これが、ピーター・ルーガーが購入した牛肉の目印です。70年以上の歴史の中で培われた信頼関係から、彼らはどのレストランよりも先に最高の牛肉を選ぶ権利を持つようになったのです。
秘伝のドライエイジ手法
マーシャは、牛肉の味を最大限に引き出すため、ドライエイジング(乾燥熟成)手法にも徹底的にこだわりました。マーシャによって考案されたドライエイジング手法は、現在も秘伝の手法として引き継がれています。本店の地下にある熟成庫には鍵がかけられ、独自のドライエイジ手法の全体像を知りうるのは、4人のファミリーオーナーと少数の調理スタッフのみです。
一般的に、ドライエイジング手法とは、温度、湿度、風を管理することで、牛肉本体の水分活性を促し、赤身肉のコアに向けてタンパク質とミネラルを凝縮させていきます。さらに、筋肉細胞に内在する酵素や特定の微生物によって生まれる酵素でタンパク質を分解し、旨味アミノ酸を劇的に増やし、柔らかでジューシーな肉質をつくります。
ピーター・ルーガーにおけるドライエイジング手法も基本的な考え方は同じですが、特別な管理手法と工夫によって、雑味を感じる不要な熟成臭を抑えることに成功しました。この秘伝の手法によって、ドライエイジビーフ特有の旨味と柔らかさを安定的に実現しつつ、牛肉本来の香りも楽しめる、最高のステーキが生まれました。
アメリカンステーキのパイオニア
ピーター・ルーガーにおけるステーキの提供方法は、長年の試行錯誤によって生み出されました。まずは、サーロインとフィレを同時に味わえるTボーン・ステーキというスタイル。今では、どのステーキハウスのメニューにも載っていますが、アメリカで最初に提供し、有名にしたのはピーター・ルーガーです。
ステーキは500℃の高熱ブロイラーで焼き上げられます。そして180℃に熱したお皿にのせて提供され、お皿の縁でさらに肉を温めます。こうすることで焼き加減をゲストの好みに調整できるだけでなく、ジューッという肉を温める音がゲストの食欲をそそります。仕上げに旨みたっぷりの「ビタミン」と呼ばれる肉汁をかけます。
優れた目利き技術で選ばれた牛肉を、手間をかけて最適な状態で熟成し、Tボーン・ステーキというスタイルで提供するステーキ。そんなピーター・ルーガーのステーキは、味にうるさいニューヨーカーに愛され続け、1984年から今日に至るまで、「ザガットサーベイ」で「ニューヨークNo.1ステーキハウス」の評価を得続けています。
東京店での挑戦
これまで、海外はおろか、マンハッタンにすら進出してこなかったピーター・ルーガー。それは、ファミリーオーナーが大切にしてきたステーキへのこだわりは、彼らにしか守れないと感じていたからです。しかし、若い世代のダニエルとデビッドは、同じ価値観を持ったパートナーを探せば、ブランドの可能性を広げられると考えました。
2016年、ダニエルとデビッドは初めて日本の地を踏み、ニューヨークにも負けず劣らない東京のダイニングシーンに感動します。その後2年以上の期間をかけて、彼らは東京の外食マーケットの分析を行い、ピーター・ルーガーの価値観を共有できるパートナーを探し続けました。そして、彼らが信頼できると決断し、パートナーとして選んだのがワンダーテーブルだったのです。ワンダーテーブルは、すでに「バルバッコア」「ロウリーズ・ザ・プライムリブ」、「ユニオン スクエア トウキョウ」などの海外ブランドを日本で展開しており、その経験と実績が彼らの心を動かしたのだと思います。
ライセンス契約締結後、最大の課題は出店地の選定とデザインコンセプトの決定でした。マンハッタンからウイリアムバーグズブリッジを渡って、ピーター・ルーガーのあるブルックリンに向かう。そんな雰囲気を感じられる場所として選ばれたのが、恵比寿ガーデンプレイスの隣ある建物でした。煉瓦外壁の外観は、まさにブルックリンの本店を彷彿させます。

内装のデザインコンセプトについては、ブルックリンにある本店のイメージにはこだわらず、新しいピーター・ルーガーのスタイルを構築することとなりました。既存建物の2階と3階の吹き抜け構造を活かし、ブルックリン風のインダストリアルな雰囲気を醸し出した劇場スタイルのレイアウトとなっています。

メインダイニングの2階は、オープンキッチンの臨場感が感じられるフロアとし、3階はやや落ち着いた雰囲気でお食事を楽しめるフロアとしました。2階と3階には、それぞれ10名様でご利用いただける個室もご用意しました。1階にはウエイティングバーと8名様でご利用いただける4部屋の個室をご用意したほか、ピーター・ルーガーで使用しているステーキやハンバーグの生肉や各種グッズを販売するブティックも設けました。
今後、東京店では、まずは本店と同じ味と品質のステーキを提供することに最も注力します。1階に設けた30坪の熟成庫で、10トンの厳選された牛肉をドライエイジし、本店と同じ焼き方で最高のステーキをご提供します。そして、ピーター・ルーガーには欠かせない、自信に満ちたフレンドリーな接客ができるスタッフ陣を育てることで、130年のブランドの歴史に新たな1ページを加えていきます。
